講談師 三代目 神田伯山

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噺の面白さ これぞ話芸

以前、僕は、視覚優位ではなく、聴覚優位らしいということを書きました。確かにポッドキャストが好きで、音楽を聴くことも好きで、落語なども聴くことも大好きです。とにかく聞いて、ふむふむと学んだり、メモしたり、笑ったり、胸が苦しくなったり、涙したりします。

話を聞こう

学生時代は、教師の話を漏らさずに聞こうとしていました。大事な内容を聞きもらすと損だと思ったのです。中学の頃の悪友は、授業中に話しかけてきたりしましたが、「今聞いてっから。」と言って相手にしませんでした。映画を見ているときに話しかけられるとムカッとしました。映画は、一言一言が、そしてふと見せる表情や仕草などの演技が伏線となることが多いです。それを見逃したり、聞き逃したりしたくないのです。話しかけられても気の無い返事をして映画の内容に集中していたのを覚えています。一方で、「つまらん。くだらん。聴く価値なし」と判断した講話や授業、講義は、落書きしたり居眠りしたりしていました。そのつまらなさ、くだらなさ(あくまで僕の主観による判断です。)が度を過ぎると、怒りすら覚えるのでした。やはり僕は、聴覚優位のようです。

なんでも聞きます。ですが、そのコンテンツの根底に流れている文化や歴史、そして作法等を知っているわけではありません。手当たり次第に、ただ聞いて、いいなぁと感じるものは心に残ります。そして記録に残します。公立図書館のCDライブラリなどを活用して、普段聞かないようなジャンルを試聴します。管弦楽やら浪曲やら民族音楽やらを手に取って、聞いて、純粋に感じるようにしています。

神田松之丞

しばらく落語をよく聞いていました。古今亭志ん生、三遊亭圓楽、桂歌丸、柳家小三治をよく聞きました。名人の語る落語の魅力に惹かれたというよりも、目の前に様子が現れるようなそんな語り口に惹かれ、その話の展開の面白さに惹かれたのでした。今聞いていた落語家の持ち味は何?魅力は何?と言われると答えられません。CDを作成するくらいの名人になると、その語る噺にグッと引き込まれるのです。

講談は、張り扇を叩く音がどこか不愉快で「落語の方がいいなぁ。」と思ってしまっていました。けれど、ある時公立図書館のCDライブラリで、食わず嫌いはよくないぞと思い、講談師、神田松之丞のCDを手に取ったのでした。

語り口に引き込まれる、情景が恐ろしいほど伝わってくる

その噺から伝わってくる世界観がものすごいのです。怪談話では、この世のものではない存在の恐怖と生きる人間の恐怖が語られる。ある怪談話では、殺された男の指が僕の体を這うような触覚を伴う恐怖さえ感じたのでした。赤穂義士伝には、義を貫く武士の生き様が美しく描き出されます。その生き様は、僕の心を揺さぶりいつの間にか、涙がほおを伝い、むせび泣いてい他のでした。話の面白さだけではなく、話芸にも見せられます。(話芸を語る素養もないのに。お聞き苦しいところはご容赦ください。)張り扇を打つリズムと言葉のリズムと気概が一体となって、ラップのようなかっこよさと気分を高揚させるような語りを聞かせてくれるのです。(平場というようです。)

軽く軽快な語り口ではない話芸。心にガツンとくるような神田松之丞の講談に、僕は魅せられてしまったのでした。

読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。

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