信頼関係 人間関係
信頼関係を結ぶということは、なかなか難しいことです。
人間関係を築くということも、これもまた難しいことです。
仕事上の付き合いだったり、プライベートも一緒に過ごすような深い関係だったり、何らかの関係を誰かと築こうとするとき、どのように人を評価しているのでしょうか。ドラゴンボールに出てくるようなスカウターが、目の前の人物の経歴、道徳性、信頼度などを数字で表してくれれば対応の仕方の参考になっていいのだけれど…。そもそもそんな絶対的な基準はどこにもありません。世の中一般に認められる賞の受賞歴や反社会的な行為、犯罪歴のように数字で表すことができるものでさえ、それは決して表には現れないでしょう。
世の中は、値踏みの市
僕らは、目の前の人を値踏みします。
見た目
第一印象というのは、影響が大きいですね。かっこいいねぇ、美人さんだなぁ、可愛いなぁ、イケメンだなぁ。若い頃は、見た目で惹かれ、判断することが多かったように思います。歳を重ねると、無意識に、それまで関わってきた人物の人相と性格との共通項をどこかで見出してさらに深い印象を抱くのかもしれません。この人は気難しそうだぞ、冗談が通じなさそうだ、なんか気が合いそうだなぁ、話も合うかも…とか、体を鍛えてるなぁ、ストイックな方かな、スタイルがいいなあ、ジムに通っているのかなぁ。
共通項
そしてその印象をもとに、修正しながら、僕たちは、少しずつ良好な人間関係を築いていく。共通項を見出すことで関係が近づくということがやはり大きいことに気づきます。同郷だったり、母校が同じだったり、共通の友人がいたり、同じ趣味だったり、同じ本を読んでいたり、同じドラマを見ていたり…
関係性の中の僕たちの存在
関係性の中の個人なのだということを痛感します。仮に僕が何の所属もなく、ただ一人、天涯孤独の存在で、社会の中に出たとしたら、誰にも見向きもされず、相手にもされないのではないか。本当の意味で、自分の実力と存在とで生きていくしかない。その社会の中で、一つ一つ信頼感を積み重ね関係性を築いていくしかない。そこで築きあげる自分が本当の実力のようにも思うのでした。
僕は、さして意識もせずに好むと好まざるとにかかわらず学生時代から様々な組織に所属してきました。僕が生きてきた中で築いてきた人間関係は、僕の背景に家族を見たり、住んでいる地域を見たり、出身校を見たり、所属していた部活動を見たり、友達を見たりして、共通項を見出したり確認したりして、それも含めて築けてきた関係でしょう。僕が所属してきた様々なバックグラウンドは、それだけで相手に自分を理解してもらうアドバンテージでもあるのです。僕の実力ではありません。(僕は僕で、組織に順応するように、そのイメージに合うように、自分自身で変化させたところは大いにあるのだけれど。)
僕という存在だけで、生きてきたとしたら、どうだっただろう。僕という人間は、組織という背景無しに僕それだけで、生きることができただろうか。組織というアドバンテージなしに僕という個で、生きることが本当の強さなのだと思います。だから、自給自足の生活に憧れる人もいるのでしょう。(僕もその一人です。)
僕の実力で生きてきたと思い上がっていたところがあります。どれだけ組織に守られていたか、どれほど相手が組織を含めて僕を見ていたか。思い上がりを反省し、ありがたさを感謝しようと思います。
読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。