視力
視力が弱いです。右と左の視力差が大きいと健診で言われました。近視であり、乱視も入っているそうです。ここ数年で、老眼も加わりました。離れていてはものがぼやけて見えず、近すぎても認識できず、夕方に近づくにつれものが判別しずらくなります。小中学生時代の教室で一番前の席でも黒板の字が見えるかどうか…、というのが、現在の僕の視力です。
煩わしさ 面倒くささ
日常生活でメガネをかけていません。
圧倒的に煩わしいのです。
ものがよく見えることよりも、メガネがずれる煩わしさが気になります。汗をかくとさらに不快さが増します。屋外で作業する際に、ずり落ちるメガネが煩わしいので外し、離れた場所に置き、そのままメガネを置き忘れてきたこともありました。部屋の中で外して、近くに置き、ゴロゴロしているうちにレンズを割り、フレームを壊したこともありました。運動の時にもメガネは、かけません。ずれるのと汗をかくのと同時に不快感がやってくるので、イライラします。集中している局面で汗がレンズに落ちたりしたら、もうイライラマックスです。
コンタクトレンズを装着していた時期もあります。乱視が強いらしく、ワンデーのコンタクトレンズしか適応するものがありませんと言われました。(十数年前のことなので、今は違うかもしれません。)目にコンタクトを近づける緊張感にもだいぶ慣れましたが、コンタクトレンズもまた定期的に眼科受診が必要になったり、コンタクトレンズの維持費も馬鹿にならなかったり、外さずに眠ってしまい翌朝目が大変なことになったりして、煩わしさとともに、かえって目の健康によくないのではないかと思うところもあり、装着するのをやめたのでした。
裸眼で過ごす日常
日常生活は、大きく言えば、あまり見えなくてもいいと思っています。他人の細かすぎる情報などは、僕にとってはどうでもいいやと思ってしまうのです。
全く見えないわけではなく、人の顔の認識はできます。学生時代に同級生で、あまりに視力が悪く電信柱を友人と勘違いして話しかけた人がいたということを聞いたことがあります。流石に、そこまでのレベルではないと思います。
職場で何かを視認する必要であれば、「すみません。視力が悪くて…。あそこになんて書いてあるかわからないんですけど、教えてもらえますか?」と聞けば、なんとかなります。
メガネをかけるとき
自動車に乗る時には、メガネをかけなければ運転することができません。映画を見る時にも、メガネがないと心ゆくまで堪能できないような気がします。自主的に参加する講演会や演奏会などには、メガネを持参します。
好奇心や向上心から足を運ぶものには、メガネを持参します。メガネをかけることで、やる気や意欲とともに視界がはっきりとして、モチベーションがわずかながら上がります。日常との差異ができるのです。
専門家に言わせれば、「メガネは、常時かけていないとダメだよ。」とよくわからない理屈で言われることでしょう。眼科に通っても視力が良くなったことはありません。視力は回復しないともいわれます。だったら、行く必要はないと考えてしまいます。
僕にとって視力回復の唯一の方法は、昔祖母に教わった遠くの山のてっぺんのあたりに生えている木をジィーっと見つめることです。その視力回復法は、週末のジョギングの時に、メガネをかけない状態で行っています。(木は、はっきり見えませんし、この視力回復法も、回復している実感は全くないのですが…。)
視力が弱いことが職場でもだんだん知られてきました。
「人の嫌なところを見たくないんだよ。見えない方がいいこともあるよね。」なんて適当なことを言っています。メガネが煩わしいだけなのですが。
お読みいただきありがとうございます。良い1日になりますように。