だんだんと暖かくなり、過ごしやすい季節になりました。
いい川だなぁ、フライフィッシングをしたいなぁ
今年も僕の住む地域は釣りが解禁になりました。今シーズン、まだ僕は、釣り人を見かけていません。川の近くを通ると、つい渓相を見てしまいます。そしてその美しさにハッとするのです。画家の方々が、日本の各地の渓相を描いているのを目にすることがありますが、その気持ちはわかる気がします。心が奪われるのです。自然の美しさ、神々しさを感じます。映画「River runs through it」は、アメリカのイエローストーンが舞台の物語だったと思いますが、広大で美しい自然にフライフィッシングが溶け込んでいて、とても良い作品でした。僕もフライフィッシングをするとき、美しくありたいなぁと思います。フライラインを繰り、あの辺りにフライを落として、2メートル位流すと、きっとヤマメが飛び出してくるだろうだなんて想像してしまいます。美しさがそこにありますようにと願って。あぁ、フライフィッシングがしたいなぁ。
フライフィッシングの魅力は、生命を感じるやりとり
以前にも書きましたが、諸々の事情からフライフィッシングを当分の間は、再開できる状況にはありません。妄想を膨らませながら、毎週末通っていた川を、そして、釣果を思い出しています。
見えているイワナを釣るために、どこにフライを落とすかを考える。イメージ通りにフライをプレゼンテーションし、思ったところでイワナが飛び出し、フライを加えた瞬間の興奮。そして、イワナの抵抗と釣り上げるまでのやりとり、そこから自分のタモに納め、釣れたイワナとの顔を合わせする瞬間。イメージ通りにフライを落とし、うまく流れイメージの通りにヤマメが大きな岩から出てきた、息を飲んでフックするその瞬間、フライに飛びつこうとするその間際、何か不自然さを感じたのか、くるりと向きを変え水底に姿を消す。週末には、イワナやヤマメを想い、今盛んに羽化しているだろう羽虫を想像し、丁寧にフライを巻く。マテリアルにもこだわりながらも、イワナやヤマメの視覚や視野まで想像する。どんな風に見えるのだろう?どこまで認識するのだろう?フライフィッシングは、自然の中で、イワナやヤマメとの生命のやりとりです。以前は、川で腹を裂いて持ち帰り食べていたけれど、食べきれずに捨てることもあったため(冷凍し保存していましたが、結局食べないこともありました。)完全にリリースするようになりました。命のやり取りは、フライのプレゼンから、タモまでのやりとりで十分。だから、魚体を傷つけないようにバーブレスのフックを使うようにしました。基本的に僕は、魚体に手では触れないように心がけています。(魚にとっては、火傷に近い状態になるそうです。)バーブレスはその点、釣り上げるのに技術が必要で(といってもテンションを常にかけるように心がける程度)、手前で逃してしまうこともあるのですが、魚体へのダメージはバーブフックに比べて、だんぜん低い。生命のやり取りを感じさせてくれた魚達に感謝の気持ちを持って、ありがとうの気持ちでリリースしています。
釣りは、生命を感じさせてくれる
手繰り寄せるまでのイワナやヤマメとのやりとりに、生きていることを感じます。イワナやヤマメの活性の高い時期は、山の自然の生命の躍動感も高まる時期だからでしょう。ラインやロッドを通じて伝わってくるイワナやヤマメの力強い抵抗は、生命そのもののように感じます。その躍動感に僕自身の命の躍動を感じる。そして、自然の素晴らしさを感じさせてくれるのです。
フライフィッシングではない釣りでもそれは感じられると想います。けれどなぜだか僕はフライに惹かれるのです。
読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。