導きと前兆

学ぶ

日常生活では、様々なことが起こります。うまくいかないことも、思い通りにならないこともあります。

トラブル発生! 忘れ物をしてしまった!!

先日、だいぶ遅い時間になりましたが、暗くてもワクワクしながら、気が急いている状態で、単身赴任先の宿舎から自宅へと家路を急ぎました。そんなときです。「あっ、いつもの帰宅セットがない。」高速道路に乗ってから、それに気がついたのでした。帰宅する際は、持ち帰り仕事の用具やPCや料理を入れるための空のタッパーなど、様々なものをダンボールに詰めて帰ります。そのまとめていたダンボール一箱を置いてきたのです。一瞬「まいっか。」とも思いましたが、PCで行いたいこともあったので、戻らざるを得ません。ここから高速を降りるには…、そこから戻って…、荷物を搬入して…、また高速に乗って…、考えるだけで、うんざりしイライラし焦ってきました。早く帰りたい。」そんな思いが、非常時はさらに加速するものです。

アルケミスト 〜夢を旅した少年〜 パウロ・コエーリョ著 山川紘矢・亜希子訳

”導き”と”気づき”を僕は、感じることがあり、信じています。(ただの思い込みにすぎないかもしれませんが。)だから、「きっとこれは、何かあるのだろう。」と考え直すことができました。感じられない頃の僕だったら、イライラして焦って、二次トラブル三次トラブルを引き起こしてしまったかもしれません。イライライして、もっと大きなミスをしていたかもしれません。忘れ物をすることで、回り道をしたことで得られる何かがあったのだろう。時間はかかったけれど、無事に帰宅することができました。何かに巻き込まれなかった、何も起こらなかった、無事に帰れたということも、それは僥倖に違いない。

前兆 宇宙の言葉 … 導き 気づき

今、アルケミストという本を読んでいます。羊飼いの少年が、宇宙の言葉を神様の残してくれた”前兆”から読みとり夢へ向かう物語です。(まだ途中ですが、興味深く読んでいます。)

子どもの頃には、誰しも夢を感じていたのではないでしょうか。僕は、漫画家になりたいなぁとか、ギタリストになりたいと思っていました。いつしか自然に諦めてしまいましたが。

子どもの頃に感じていた大いなる夢が、”不思議な力”によって不可能だと思い込ませられる。”前兆”も”不思議な力”も、自分を思い返すと「あぁ、確かにあるかもなあ。」と思わせられます。

偶然? 必然?

以前にも書きましたが、冬の夜道で自動車が滑り出し、2〜3回転してしまったことがあります。対向車にぶつかることもなく、公共物にもそして自分の車も自分自身も何もなく済みました。

平日の自転車退勤時、車止めにタイヤが引っかかり、体が宙を一回転するような転び方をしたことがあります。頭を打ってから地面に叩きつけられたので、ヘルメットがなかったら、と思うとゾッとする転び方でした。自転車は大破したものの、ヘルメットとカバンのおかげで、無事に済んだのでした。(詳しくは、以前の記事をご覧ください。)

偶然のように思われるかもしれませんが、僕には偶然ではあり得ないような出来事でした。必然を感じるのです。必然だとすると、そこに意味があるはずだと考えてしまいます。

良いパフォーマンス 導きと気づきを感じられる状態でいたい。

一歩間違えば、大怪我や命に関わる重大事故になっていました。

「気をつけなさい。慎重に運転しなさい。無茶はいけないよ。」という教訓とともに、生かされていることと何か僕にできる使命や意味があるのではないかということを感じるのです。その使命への導きとその意味の気づきを得られるような状態でいたい。その状態が僕にとっての良いパフォーマンスであります。常に良いパフォーマンスでありたいと願うようになりました。

僕にとって、アルケミストで語られる”前兆”や”宇宙の言葉”は、どこか重なり共感させられるのです。皆さんも自分の身の回りで起こる出来事が、何かの”前兆”と感じることがきっとあると思います。意外に共感するところが多いのではないかなと思います。

読んでいただき、ありがとうございます。良い1日になりますように。

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