歳を重ねるほどに、日本人として生まれてよかったなぁと思います。幼い頃は、誰もがそうであるように、自分が生まれたこの国の環境で当たり前に生活し、その伝統や文化を受け入れてきました。学校では歴史や伝統についても学びました。教科書の内容は、ある意味で自分の生活とは別個の独立した内容のようにとらえていましたが、だんだんと日常の生活と教わった事柄を結びつけて考えられるようになってきました。現在は、博物館や資料館などにいく度に身につけた知識とつながることがあります。教わったことと感じていることと資料とが批判的につながるような感覚です。
古来から大切にされ育まれてきた日本の自然や伝統や文化を知るたびに、素晴らしいなぁと思います。この国は、どうやって作られてきたのだろう、この国の文化はどのようにして育まれてきたのだろう。教科書にも出てくるあの人物の偉業が人々を感化していったのかも知れないなぁ、また別のある人物が本当に教科書の説明通りならば、民衆はその人物についていくだろうか、なんて少ない知識の中で、妄想を膨らませ、日本の歴史に想いを馳せます。この国を守り発展させてきた日本人に敬意と憧れを、僕は持っています。本で読むことが史実かどうかは、僕には確かめようがありませんが、人を思う強さや美しさを日本人は、ずっと昔から大切に語り継いできたんだろうなと思うのです。そう思わせる本があります。
男てぇのは、理屈じゃねぇ。
「天切り松闇がたり」(浅田次郎著 集英社)は、任侠の世界を生き抜いた老人の語りが魅力の作品です。浅田次郎さんの描く登場人物たちは、優しさとともに、悲哀を感じさせます。人としての見栄も意地も感じられ、それがまたかっこいいのです。この本では、江戸から明治、大正へと、激動の時代の真っ只中に生きた人々が描かれます。すっと一本筋を通して激動の時代を生き抜いた松蔵親分が、関わりを持った魅力的な人々の物語を、留置場で語ります。語られる人物の深みとかっこよさといったらありません。人として素敵な生き方ってこんな生き方なんだろうなぁと思わせます。
日本人として生きる強さ
安吉親分、寅兄、黄不動の栄治、書生常、振袖おこん、そして松蔵の安吉一家。この登場人物を中心に松蔵がその生き様を語ります。その語りは、留置場のやくざ者だけではなく看守や署長までを魅了し、自然と松蔵の周りには人々が集まり、語りに耳をすまします。人として欠かせない意地。弱い立場の人を守る強さとそれを貫ける心の強さ。そんな素敵な強く優しい人々の物語を語ります。人とぶつかってしまうこともあるけれど、そこで見せるさりげない優しさと貫く仁義。それが読むものの心を震わせます。
きっとこの国には、松蔵のように誰かのために気概をもって生きた人物を語り継ぐ文化があったのではないでしょうか。そんな人々の心意気の上に成り立ってきたからこそ、今のこの国があるのではないのかな、そう想像します。
激動の時代でも、大切にしたいこと
松蔵が生きたのは、江戸から明治、大正へと大きく世の中が変わる時代でした。今も、昭和から平成、令和へと激動の時代です。生き方も価値観も生活環境も大きく変わっていく時代。
「人として大事なことは、こういうことだと思わないかい。」「生きるってことは、こういうことだと思うがねぇ。」「時代が大きく変わったとしても、忘れちゃいけないことがあるんだよ。」きっと松蔵の語りに人々が集まるのは、生きていく上で、普遍のものが込められているからなのでしょう。
令和の時代にこの国で生きる僕たちが、強く優しくかっこよく生きるためには、どんな風に松蔵の語りを聞けば良いのか、時折考えようと思います。
読んでいただき、ありがとうございます。良い1日になりますように。