健康に生きよう 〜有酸素運動を習慣にしよう〜

健康

ゆっくり走ろう まずは週1で走ろう

週末に早朝ジョギングを続けています。1時間走ることもあれば、2時間ほど走ることもあります。速いスピードでは走りません。というか、走れません。早朝ジョギングの同志たちが(勝手に同好の方々をそう呼んでいるだけです。)、僕を走り抜いていきます。抜かれてばかりです。これまで10年近く走ってきて、2人ほどしか抜いたことがありません。

僕の中にも大きな変化が起きている

そんなスローなジョギングですが、ある変化を自覚しています。そして、少し前に人間ドッグで医師に言われてある程度確信を持ったことがあります。

心拍数が無駄に上がらなくなってきた。呼吸が落ち着いた。

「あまり焦らなくなったなぁ。」ふと、これまでの自分を思い返したときに、そう感じたのです。歳をとったせいもあるかもしれませんが、仕事上でも、落ち着いて様々な人々に対峙できています。人嫌いで、人見知りの僕が…です。感情の浮き沈みの激しい性格なので、腹が立ったり、落ち込んだりすることはあるのですが、比較的早くその感情に対処できるようになりました。

人間ドッグで、医師からは、「何かスポーツに取り組んでいる方ですか?長距離マラソン選手に見られるような顕著に低い心拍数が数値として現れているよ。低すぎて心配だけれど、それはアスリートによく見られる心臓だね。健康維持のためにも週末のジョギングは続けてください。」のようなことを言われました。(嬉しかったので、自分に良いように脚色してあるのは否めません。)僕が取り組んできたことは、自分自身では健康なので満足していますが、他者からも認めてもらえたような気がして、嬉しくなったのでした。(そういえば、家族の誰からもほとんど触れられない。)

ジョギング(と筋トレ)により、脳と身体を鍛えられた

「脳を鍛えるには運動しかない」(ジョンJレイティ著 野中香方子訳)をずいぶん前に読みました。運動が脳を鍛えるのは、本当なのだと思います。当たり前ですが、運動が体を鍛えるのも真実だと思います。移動し、運動する動物にしか脳という器官はないのです。

継続し習慣となったジョギングが体を鍛えることにつながりました。心臓が鍛えられ、無駄に心拍数が上がらなくなってきたことと、落ち着いた思考や落ち着いた生活には、関係があると思います。

継続し習慣となったジョギングが脳を鍛え、脳を最適化することにつながったと思います。無駄なことをジクジクと考えすぎないようになりました。というよりも、ジョギングをした後は、考える価値のない悩みはふるい落とされて残りません。自分の思考を眺め、厳選されたことをじっくりと考えることに繋がっていると思います。

自分の変化を自覚できる?

でも時々思うのです。自分が変わったことを自分で自覚できる人はどのくらいいるだろう。僕が僕自身で変化してきたなぁということを客観的に実感できることは…、あります。けれど、自覚できていないこともあるのではないか。例えば、山月記にあるように、人間が徐々に獣になってしまったとしたら、獣になってしまった獣は、獣の脳で何を変化と捉えられるのだろう?脳も獣に変化しているはずだ。徐々に変わっていく自分自身の変化を俯瞰的に客観的になど捉えることはできるのだろうか?獣は獣としての現在しか感じることはできないのではないか。だから、僕が今感じている変化はごく限られた一部で、もしかしたら何も言わない家族は、何かしらの変化をよりもっと多く感じているのかもしれません。あえて聞くのは怖いので、聞きませんが。

家族にも健康に生活してほしいと願っています。けれど、走ることはハードルが高いだろうか。せめて、僕が健康になったこと、それがジョギングや筋トレを続けたからだということが伝わっていてほしい、何らかの健康への感化を期待したい。

もっと簡単で、健康につながる仕組みを考えてみよう。そんなことも企んでいます。

読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。

 

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