立場の違いで見える景色が違う
立場が変わると、見え方が変わることがあります。職場でも昇任等により、同様の仕事でも捉え方が変わります。与える立場と受ける立場では、ものの見え方が違ってくるのだと思います。
仕事上のプロジェクトを企画する側にとっては、プロジェクトのビジョンや目的を理解し、主体的に任務を遂行してほしいと考える。企画を受けてプロジェクトを実行に移す側としては、ビジョンを明確に示してもらわないと実行に移せない。文字をただ羅列して、ペーパーを見て説明してもビジョンは伝わるものではなく、また、企画側の人間にもビジョンを持っていない者も少なくない場合があって、伝わらない。企画側の人間にとっては、説明したのにいちいち説明しないと動かない指示待ち人間のように見え、主体的に取り組む部下を望む。この場合の主体的とは、「1を説明すれば、10まで理解でき実行に移す」という人間を指す。企画側の人間は、プロジェクトの遂行を遂行する際、どんな障壁がどれほどあるか、一つの仕事にどれだけの仕事が付随してくるかを理解していないことが多く、それへの対処に追われる日々であることがわかっていない。また、適切な分業がなされないことも多く、それぞれが多岐にわたる業務を一人でこなさなければならない煩雑さと多忙さに追われる。ビジョンの理解というよりも目の前の仕事に追われるのである。
ビジョンを持つ ビジョンを示す
ビジョンは、ペーパーで示される文書とイコールではないと思います。文書で示されたもので、全てを理解できる人もいると思います。けれど、文書の内容を理解しても、自分の考えに反していたり、自分の部署とは関係ないと理解できたり、ビジョンがなかなか浸透しない。「ビジョン≠文書」だと思うのです。
ビジョンを強烈に思い描いたそのイメージが届かないのです。ビジョンは、伝える上でペーパーなどの文字や数字で表されることがありますが、どれだけ上手に表してもビジョンを100パーセント文書に表すことは難しいのではないか。つまりビジョンとは、思いであって、願望であって、熱意であると思うのです。「ビジョン=思い・願望・熱意+伝える手立て」です。
「生き方」稲盛和夫著(サンマーク出版)
稲盛和夫氏は、著書「生き方」の中で「作りたいものが、具体的な形となりカラーで見えるまで考えて考えて考えぬく。」と言います。考え抜き思い描くことを濃縮すると「現実の結晶」が見えてくると言います。僕は、それがビジョンだと思います。それが中途半端だと、相手に伝える際にぶれるてしまうのです。ビジョンを伝える側が思いと願望と熱意を持ち、繰り返し繰り返し語り、ビジョンを具体化するとはこういうことなのだ仕事に向かう姿を自ら示すことが大事だと説きます。なるほどなぁと思います。
稲盛和夫さんの著書を時々読み返します。仕事に向かう姿勢を問い直し、気持ちを改め身が引き締まります。
参議院議員選挙がありました
政治への不安と日本の行く末の不安を感じています。日本は、どうあるべきなのか…そのビジョンを示せる方を国民の代表として選びたい。そう思いました。
世界では、戦争の惨禍の報道がなされます。大国の論理で世界の在り方が決められ、変えられていくような怖さを感じます。日本を取り巻く現状の危機感も感じます。日本国内を見ても、移民政策や観光地の問題、農業政策や食糧事情、物価対策・経済政策、安全保障など、課題が山積です。いつまでも以前からのしがらみと利権でがんじがらめになって変化することができず、政治が行き詰まった閉塞感があります。ニュースを見るたびに、暗雲が立ちこもっていくような不安感ばかりが募ります。
政治の世界を経験したことはありません。僕の立場から見えている世界は、政治家や官僚の見えている世界とは違うと思います。政治家や官僚の実情もあるでしょう。その立場は推測しかできないけれど、政治家は、国民の代表であるはずです。国民の生活を守り、日本の文化を高めるために存在するのが政治家のはず。僕の周りの愛すべき一般の国民は、一生懸命仕事をし、世の中の秩序の維持や文化、伝統の継承のために力を尽くしている。みんなのために献身的に努力している。けれど、この閉塞感はなんなのだろう?どれだけ働いても、生活が苦しいままなのは何故なのだろう?
選挙の結果は、もうすでに出ました。選挙報道を見ると、不安や不満を感じている方々が多かったようです。僕も、国の方向性を考え参加する意思表示として投票しました。民意の反映された投票結果が、良い国へと向かうきっかけになればと思います。
読んでいただきありがとうございました。良い1日になりますように。