手紙をいただきました。

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元上司からの手紙

職場に手紙が届きました。「はしおかさぁん、手紙届いているよ。」僕宛の手紙です。なんだ?と思ってあらためて見ると、見たことのある筆跡です。10年ほど前にお世話になった元上司からの手紙でした。

言葉の有難さ 手書きの有難さ

拝読しました。退職したOBの方々の会合があり、僕の話題が出たのだそうです。(目立たぬように生きてきたつもりですが…、あまり自分のいないところで話題にされたくないものです。何を話していたのだろう…)僕を励まそうと手紙を下さったのでした。

筆不精なもので…

僕には友人はほとんどいません。交友関係は広いとは言えません。自分の性格に偏りがあるようだなぁと思い始めてから、努めて深い親交はしないように距離をとってきました。

そんな僕ですので、手紙などまず届きません。「義理であり仕事であり修行である」と思って出していた年賀状もやめました。もともと少なかった賀状も、もうほとんど来なくなりました。

メールやラインなどもやりませんし、誘われません。煩わしく感じてしまいます。スマホの画面から目を離せない人を見ると、SNSやらアプリに支配されているように側から見て思うのです。つながらないことで、寂しいなどとは一切感じません。(つよがりではありません。)

心が伝わる

筆跡で、”はっ”と感じるものがありました。名前を見て、”やはり○○さん(元上司)からだったか””手紙をくださるなんて、何かあったのだろうか”と、自然に気持ちが文面へと向かいました。また、同時にその筆跡から、まだ元気にご活躍されているだろう様子が伝わってきました。お世話になっていた当時のままの力強い流れるような筆跡でした。

相手を本気で思う気持ち

かなり高圧的な上司でした。職場での部下の言動について厳しい方でした。職務について誇りと責任感を高い次元で持っていた方だと思います。不条理な仕事を押し付けられたこともありました。意見を述べる間も無く否定され、強制的に仕事を命じられたこともあります。飲み会の席で不愉快なことを言われたこともあります。現代では、ハラスメントにあたるのかもしれません。

当時は、頭にきて同僚に愚痴をこぼしたりしました。が、訴えるなどの発想は、当時も今もありません。人の考え方は本当に十人十色で、言って聞かせてわかるものではないと思っています。この歳になり、部下に指導する機会も増え、強く実感しています。自分の思いを伝えるには、考え方の違いを本気でぶつけ合うしかないのではないか?ぶつかることで自分の考えに手応えを感じ、自分の考え方を深めることができるのではないか。僕が偏った考え方をしているので、「それでは通用しないよ。」という思いを持って、ぶつかりながら確実に伝えようとしてくれたのではないか。

手紙は、心を伝えられる。手紙は、過去を鮮やかに思い出させる。

手紙を手にとり、当時がブワァーっと、一気に蘇ってきました。手書きの文字から、離れた場所で生活している元上司の感情や健康状態、書いている時の様子も伝わってくるようにも思うのです。

お手紙を下さった元上司に感謝します。部下を思う気持ちの大きさは、次世代へとつなげていくべきものなのだろう、と使命感にも似たような思いも持ちました。僕の将来を見据えて、本気でぶつかってきてくれたのだろうなぁ。今ではそう思えます。

生きる上で、心を込めることが大事であること。心を伝える手段としての手紙についてあらためて感じ、考えさせられました。

読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。

 

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