老け顔なりに

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髪を逆立てて ロックしたい!

鏡で自分を見る時間は、一般の人に比べてかなり短いと思います。髭を剃るとき、鼻毛をカットするとき、アファメーションするときくらいだと思います。鏡を見ながら、髪をセットしたり、ドライヤーをあてたりするのが億劫なのです。髪は基本的に1年間を通して短髪で、朝にわざわざセットする必要がない長さで生活をする。朝起きたなら、顔から髪へ一気に水で洗い、顔洗いは終了。

そんな僕でも、ビジュアル系のロックバンドの影響を受けて、若い頃は髪を逆立てるためにドライヤーをあてたり、ロックな服装を好んで着たりしたこともありますが、短期間で終わりました。かっこよくならないのです。どうやっても。髪質が悪いのか、やり方が悪いのか髪はすぐに、へたっとなってしまってダメでした。ロックな服も似合いませんでした。整髪料を髪質に合うものに変えたり、髪の長さを調節したり別な方法を探ったりすれば、自分の望むような髪を逆立てるヘアースタイルができたかもしれません。ただ、鏡の前で費やしている時間が、全く無駄だなと思ったのでした。時間と労力に見合った格好良さが得られないのです。僕には合わないなということとこの分野は全くダメだなということを、早々に見切ったのです。(この分野はイケると思ったこともありませんが、ダメだなこりゃは意外とわかります。)

老け顔で得することは

そもそも僕は、中高生の頃から35歳くらいに見られていました。同級生からは、「サラリーマン」とか「社長」とか、そんな感じでからかわれました。高校生の頃のあだ名は、なんと「ボス」でした。「太陽にほえろ」(ご存知でしょうか)の石原裕次郎のような貫禄があるわけでもない内気な高校生が、見た目の老け顔で「ボス」と呼ばれていたのです。

はじめから、そんな老け顔の若者が、ビジュアル系に影響を受けて、髪を逆立ててかっこつけようとしても無理があったのです。今は、冷静に客観的に考えられますが、当時は、若さゆえかっこよくなりたいという気持ちで、なんとか理想に近づこうともがいていたのでしょう。困難にぶつかった時、無理なことが明らかになった時、そこから別ジャンルを創造するだけのクリエイティビティがあればよかったのですが、残念ながらありませんでした。その芽も全くなかった。自分なりに無理だと決断させるだけの要素も多かったわけです。

今も、鏡をほとんど見ませんが、時折目にするこの老け顔もいよいよ本格的な本当の老け顔になってきました。こめかみの辺りには、白髪が増えてきました。髪は、おかげさまでまだありますが。シワも常時残っているように思います。

若者には、あらゆる可能性があります。世の中には、ある分野で先駆けとなって活躍している人々がいます。プロ野球選手などのプロアスリートやアーティスト、アイドル、ユーチューバー、声優、漫画家、料理人などは、テレビやネットなどのメディアでも取り上げられるため理想としやすいでしょう。メディアで取り上げられなくてもある分野では大変何かに長じている方はいるものです。歴史や鉄道、飛行機や考古学、それに若者が夢と憧れを持って努力することは、素晴らしいことだと思います。その一方で、一人の人間に、どの分野でも無限の可能性があるということは、人を迷わせることにもつながることでしょう。

老け顔は、僕にとって、無限の選択肢の幅を狭めてくれて、選びやすくしてくれたと思います。まず、ビジュアル系はだめ。洋服も何をきても似合わないからだめ。勝ち負けを競うスポーツもだめ。望みのないことに注力せずに、どうやって生きるべきか考えることにつながりました。

もしかっこいい顔に生まれていたら、ちやほやされていい気分になるだろうけれど、僕には経験することのなかった辛いこともあるでしょう。モテすぎてつきまとわれて困ることもあるでしょう。かっこいいがゆえに、面倒なことに巻き込まれることもあるでしょう。この歳になるとそんなことも耳にすることもあるので、実感を持って、老け顔で良かったのかもなぁと思います。
かっこよく生まれていたら、きっとそれを維持するために衣類や遊興費にもこだわることでしょう。かっこよく生まれても、僕という人格が変わらないとすれば、億劫だなと感じることでしょう。

なかなか35歳の老け顔に見える人もいません。この顔に生まれた不憫さと老け顔で得られる平穏な日々を受け入れていこう。増えていく白髪を見て、そう思いました。

読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。

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