心のスキマと依存傾向

趣味

寂しい

ポッドキャストが、心のスキマを埋めてくれます。人の声には力があるのでしょう。だからポッドキャストが、平日の宿舎でずっと流れています。

ポッドキャスト

食器を洗いながら、洗濯物を干しながら、洗濯物をたたみながら、アイロンをかけながら、掃除をしながら、筋トレ中に、思考を伴わない機械的な入力作業をしながら、自動車で移動中に…、日常の中にあるスキマ時間を、人の声で満たしています。
世の中を知り、知識を得て、社会の動きを読んだり、社会人として必要な情報を得られることもポッドキャストの利点です。
それとともに寂しがり屋の僕にとって、心のスキマを人の声が埋めてくれるような感覚があるのです。「サンドウィッチマンのラジオショーサタデー」や「科学のラジオ」、「飯田浩司のOKコージーアップ」「辛坊治郎ズームそこまで言うか」は、パーソナリティーやコメンテーター、アナウンサーそれぞれの優しさや仲の良さ、博識と知識、気遣いなどがとても心地よいのです。

人の声を聞きたい。

視覚優位と聴覚優位、体感覚優位

サンドイッチマンのファンです。

平日などは、帰宅するとすぐにスマホを手に取り、ポッドキャストを流します。習慣化とも言えますが、依存傾向でもあります。ポッドキャストがなかったら、生きていけない…、などという状態は良くない。

心のスキマと依存傾向

ポッドキャストに人の声を求め、心にぽっかりと空いている寂しさのスキマを埋めています。僕に限ったことではないのだな、地球上の人々に同様の心理状況の人が大勢を占めるのかもしれないなと思ったことがありました。

人工知能 生成AI

外国では、生成AIとのやりとりから命を落とす人が現れ始めたと聞きます。その人の心のスキマを埋めるのは、必ずしも人ではなくて良いのです。自分の問いかけに、声や言葉や動作で答えてくれるものが、私たちの心のスキマを埋める癒しとなるのでしょう。犬や猫などのペットは、人間にとって太古の昔からともに生きてきたので、そういうこともあるだろうなぁと僕は理解できます。けれど、現実世界に実体のない人工知能とも言われるAIも、私たち人間の心を埋める時代になってきました。

僕がポッドキャストに依存傾向が強くなってきているように、AIに依存する傾向が強く現れる人もいるであろうことは容易に想像できます。AIがなくなったら、生きていけない…、までに依存する人も現れるのは、当たり前のことかもしれません。

けれどAIは、そもそも人工知能。誰かが作ったものです。人間の手によって作られたものに支配され操られるような拒絶を、僕はAIについては強く持ちます。人工のものに支配されたくない、という気持ちがあるのです。ポッドキャストも人工のもので、それへの依存も怖い。けれど、より嫌悪感を感じる意図がAIについては、入りやすいような恐怖があります。

果たして、世界のテクノロジーの発展は、人間を幸福にするのだろうか、AIは人間を幸福にできるのだろうか。

AIやロボットの進化は、私たちの生活を大きく変えるでしょう。辛い労働作業や家事はしなくても良い、便利な生活がそこにはあるかもしれません。その便利で快適な生活は、人の心の苦しみも取り除いてくれるのだろうか、家事や労働のない生活に喜びはあるのだろうか。

ポッドキャストと自分の心のバランスを考えながら、様々なことを妄想しました。

お読みいただいたことに感謝します。良い1日になりますように。

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