毎日を生き生きと活力のある毎日に
「疲れた。」「クタクタだ。」そんな毎日をお過ごしの方は多いと思います。僕もその一人です。
充実した時間を過ごしたい。笑顔で生活したい。そう願う人が大多数だと思います。
けれどそれが難しい。僕たちは、一体何に疲れてしまうのでしょう。
地球上に自分一人だったら…
人は、一人では生きていけません。生きていけるかもしれませんが、喜びを得られるでしょうか。地球上で自分が一人の人類になったら、あらゆるものは、自分の一人のものとして独占できます。それは、嬉しいだろうか。孤島に一人であれば、生きられると思います。あの海の向こうに仲間がいるかもしれない。その希望が自分を生かしてくれる。良くも悪くも人がいるから、苦しみがあり、喜びがあるのだと思います。2人、3人といると、地球上のものは分配したり、奪いあったり、得るために競争したり、そんな活動が生まれることでしょう。それでも一人よりも良いような気がします。誰かが話した言葉に一喜一憂し、誰かが作った農作物をいただき、誰かの発明で暮らしが便利になる。逆に、僕たちが働くことで、生活の利便性が上がり、誰かのためになっているのかもしれない。人がいることで、生きる歓びが生まれる。
自分と相手との間
人間関係、人と人との繋がり方が僕たちの生きる根幹にあるのでしょう。
一人では、生きられない。けれど、人がいたらいたで、嬉しいことも辛いこともある。自分の都合の良い時は、近くにいて欲しいけれど、一人でいたいときや放っておいて欲しい時もある。またそれは、自分と相手が同じように一緒にいたいって、思ってくれれば良いけれど、思いはすれ違うことが多い。
さて、どうしたものでしょう。
間を置くこと、落ち着いて自分の思考を眺めること
僕は、人付き合いが決してうまくありません。様々な考え方の人がいることも経験上知りました。そんなみなさんとうまく長く付き合っていく自信もありません。
けれど、人間は、一人では生きていけない存在だと思っています。僕は、人がいることに感謝しています。スーパーがあり、公園があり、それを作る誰かがいる。地域の文化を作ってきた歴史があり、数千年にわたって続いている誇るべき日本の文化があり、その中で僕たちは生きることができている。それは、何より僕の周りに人がいるからであって、ありがたいことだと思うのです。
人の存在に感謝する。
けれど、分かりあうことを求めません。わかりあえた時の充実感は素晴らしいでしょう。でもそのわかりあえた感覚がなくなった時の喪失感もまた大きい。失わなくても、失ってしまったら…と想像すると、とても不安になる。人と人との関係に分かり合えることを求めると、いずれ苦しくなる。だから僕は、わかり合うことを求めないようにしています。
わかり合うことを求めない。
そのために、自分の思考を眺める心がぶれないようにしたい。(まだブレまくります。)波長が合い、わかりあえそうになるとその方向に猛進してしまいがちです。そうならないように落ち着いて、自分の思考が眺められるような冷静な状態でいたい。そう願います。
周りの人の存在に感謝し、わかり合うことを求めずに間を置きながら過ごすこと、誰かのためになる何かができることに感謝すること、味気ない暮らしのように思うかもしれませんが、それが充実した生き方のように僕は思うのでした。人間としての良い生き方、活力のある生き方のような思いが僕は、するのでした。
読んでいただきありがとうございます。良い1日になりますように。