ジョギング日記 0920

健康

走れることに感謝

ジョギングができました。とても爽快な気分です。走ることができるという当たり前のことに感謝します。左脚の違和感も痛みも、ほぼ感じませんでした。

ランニングを意識して走ってみましたが、ジョギングが僕には合っているように思います。それもスロージョギングという感じの方がしっくりくるかなぁと感じています。ゆったりと、あまり負荷をかけない走り方が僕に合っていると感じるのです。左足の回復と故障回避のためにも、少なくともしばらくの間は、それが良いだろうと思うのでした。
ジョギングをベースにしながら、心拍数を少し上げることを意識したり、ペースを少しあげたりするのを少しずつ取り入れる走り方をしていこうと思います。

9月20日(土)5:30〜7:00 コース:90分コース

目を覚ますと1日が始まります。今日という1日を始めることができます。
眠る場所があり、家がある。近くには公園もあり、神社もある。朝ごはんを食べることができる。器がある。食材がある。冷蔵庫がある。調理器具がある。熱源もある。水を飲める。歩くことができる。家族がいる。会話をすることができる。仕事をすることができる。職場で人々と関わることができる。好きな本がある。気持ちを高める本を持っている。文字を読むことができる。テレビがある。スマホがある。走ることができる。ランニングシューズがある。トレーニングウェアがある。洗濯機もある。
あげだしたら、きりがないほど、僕はたくさんの当たり前に囲まれていて、それらを当然のように享受して生活を送っています。童謡に「昔話の王子でも、昔はとても食べられない。アイスクリーム〜。」という歌がありました。昔話に出てくる王子様は、アイスクリームなど食べられませんでした。冷蔵庫などのない時代、アイスクリームを作る技術さえ見出されていなかった時代があるのです。アイスクリームは、物にこだわらなければ近所のスーパーから簡単に購入することができる時代です。太古の昔と比べて僕たちは、ありがたいものに囲まれて当然のように生きています。冷蔵庫がないということは、電化製品もない。食料保存の事情も現代とは全く異なります。飢餓が、身近にあった時代です。僕らの当たり前がない時代を経て、今があります。
僕らの身の回りにある当たり前が、いつかなくなるなどと、僕は考えたことがありません。「こんなの当たり前だよ。周りのみんなそうしてる。だって国民の権利だろ。ちゃんと義務は果たしているんだから、当たり前の権利だよ。当然のことだよ。」
僕は、どこか傲慢に生きていたのだろうなぁと走りながら思いました。
”当たり前に感謝しよう”、全ては、この気づきを得るための導きだったのだと思います。幸せに生きるための大きな気づきを得られました。感謝します。

僕はすでに多くを持っている。それを当たり前と思い、軽視していました。失って初めてわかることがありました。できなくなってわかることがありました。当たり前がありがたいということです。今できること、当たり前に周りにあることが、ありがたい。

僕は、全てを持っている。

お読みいただいたことに、感謝します。良い1日になりますように祈ります。

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