目標は、立てない。まず始めてみる。
学生の頃、長距離走が嫌いでした。みんなに追いつこうと頑張ると、脇腹が痛くなりました。能力も高くないので、馬鹿にされることはあれど、褒められることはありませんでした。運動会も嫌いでした。仮病で休んだ記憶があります。集団競技も嫌いです。自分のせいで負けたと思われるのが嫌でした。(僕が参加するレベルでは、誰もそう思わないと思いますが。)
水泳も嫌いでした。教えてくれたようには、できなかったのです。仮にその通りできたように思えても、25メートルさえ泳げませんでした。水が冷たくて気持ちよかったけれど、楽しくなどありませんでした。
鉄棒の授業も嫌いでした。自分の体を支える筋肉が発達していなかったのでしょう。
勉強もあまり好きではありませんでした。僕は、祖母のいうことはよく聴いていたので(おばあちゃん子だったようです。)、「勉強さねば、わがねぞ。」と東北訛りで諭されて、勉強はしました。けれど、勉強の目的も自分自身の将来を考えることがなかったので、勉強を進める方向性は迷子の状態だったと思います。褒められるからやる、勉強のための勉強でした。人生全体で勉強を考えた時、周りを見て判断することではなくて、褒められるからやる、認めてくれる人の言うことを聞くという情けない精神性の基盤になってしまったかもしれません。
人前で、自分の考えを話すことなどできない子どもでした。大人っぽいこというと家族にさえ冷やかされるように馬鹿にされました。学校でも自分の考えを話すと馬鹿にされたり否定されたりすることがありました。家族にしても、周囲の人たちにしてもバカにするつもりなどなかったかもしれません。否定などしていない。と言うかもしれません。いずれ、自分から、自分の考えを話さなくなりました。同時に、自分の考えを、さも分かった風に話すだけの人物は、毛嫌いするようになりました。
目標を立てない まず始めてみる ただやる
現在の僕は、運動が好きです。運動といっても、ジャンルは限られていて、長距離走と筋トレです。ある程度集団生活ができるようになりました。ある程度の集団の中で、自分の考えたことを話せるようになりました。恥も外聞もない、世間体など気にしないという境地に至ったのかもしれません。
様々な本を読んできました。自分の考えに感覚を研ぎ澄ませるようにしてきました。痩せた方が毎日を軽快に、ハイパフォーマンスで過ごせると気づきました。すぐに、実行に移しました。ジョギングと筋トレです。過去には、水泳も取り入れました。現在も続けられているのは、目標を立てずにまず始めてみたからだと僕は、考えています。やり始めると、工夫するアイディアがひらめきます。また、やった後の心地よさや成果が実感されます。着地は、足裏全体で地面を捉えるようにすれば、骨格と地面のエネルギーを得て軽く長く走れるのではないか。クロールの息継ぎを左右交互に行うようにすれば、体軸のローリングのバランスが良くなるのではないか。頑張って…とか、義務で…ではなく、自らがそれらを調べてしまうのです。そしてそれを実践する。
ジョギングは、楽しい!
ジョギングを始めた時には、ハーフマラソンやらフルマラソンの大会出場を目標にやろうと思いました。心拍計を胸に装着して走ったり、タイムを計りその記録に一喜一憂したり、そんなトレーニングをしましたが、走ることが全く楽しくなくなりました。運動することができれば、それだけでいいのに、なぜか何処かで聞いた「目標や目的を明確にすることが大事です。継続する秘訣です。」という言葉が僕の思考にこびり付いていたのでしょう。競争原理が働く競技は、僕には合わないようだということに気づきました。
筋トレは、楽しい!
筋トレは、始めてみると4〜5ヶ月があっという間に過ぎて行きました。胸や腕の筋肉が以前よりも太くなり、力強さを感じる肉体に近づいて行きました。全身に残る筋肉痛が、きちんと筋トレをした証拠のようです。軽い疲労感もあり、衝動的な行動を抑える一助にもなっているように思います。
水泳は、楽しい!
水泳が「全身運動で体への負担が少なく、とても優れた運動である。」という言葉を目にしたことがあります。それならばやってみようと思い立ち、図書館で水泳の本を何冊も借りて読み、自分なりにどうすれば泳げるのか考え、やってみました。その結果、息継ぎができればいつまでも泳げることに気づいたのです。本で読んだ知識と泳げる子の息継ぎなどの技術を観察して研究したり、自分なりに考えてみたりして、目標は立てず、水の気持ち良さを感じて楽しく泳ぐのです。今考えると学校で教えていた泳法は、競技者のためのもので、水を感じて楽しく長く泳ぐためのものではなかったと思います。
自分で学んだことをもとに、自分なりにやってみること
縁のないことや嫌いなものは、性格や資質、能力によるところがあります。得意なことも苦手なことも、学生時代に作られたものが多いです。今は、目標など立てずに、関心を持ったことを自分でいいなぁと感じたことをただ続けています。きっと自分に合うものは、ただやるうちに、工夫や改善がなされ、自然に上手になり、自ずと目標ができていくことでしょう。
今日も読んでくださりありがとうございます。良い1日になりますように。