事実を述べよ②

学ぶ

事実の報告を受ける時

主観が入っていることを考慮する

事実と言われている情報には、ある程度主観が入っていることを理解した上で、受け取るべきだと思っています。たとえ「わたくしはぁ、客観的事実を報告します。」と自信満々に報告を受けたとしてもです。「”客観的”と”事実”のとらえ方が僕とあなたとでは違う」ので、ある程度の誤差が生じるのは仕方のないことだと思うのです。
また、理数系分野は別として、その他多くの事象については、客観的な事実に意味は薄いのではないかとも考えています。客観的な事実の羅列は、単なる年表そのものになりそうです。つまり一つ一つが点になるのです。もちろんそこにも価値はあるけれど、主観は、点と点をつなぎストーリーという線を紡ぎ出します。主観が入るからこそ、面白いのです。
僕は、直筆の書物が好きです。博物館や資料館で過去の時代の直筆の書状などを見ると、内容は読み取れませんが、書いた人物の様子が想像により輪郭を持ち始めます。絵もその人なりの線でその人の視点が主観が現れているから個性が生まれ面白いストーリーが紡ぎ出されると感じます。

たとえ事実といわれているものにも主観が入っているということを考慮して、受容的に捉えるべきではないのかと思います。

事実の列挙では、解決しない

報告する人の主観が入っていることを差し引いて考えると、より客観性は増すのではないかと思います。
正確な事実を必要とするならば、報告している人がどんな性格を持っているのかを知り、その分を差し引いて考えたり、すべて数値で表したりすると良いのではないか。

ある事象から、事実という点を見つけ、それらを人の主観で繋ぎ線にするからこそ、面白いのです。芸術作品も文芸作品も大いにその作家の主観が現れているから、私たちはそこに壮大な世界観を感じるのです。

事実の羅列とイマジネーション

ある事象のある一部の事実と別の事実を作家の主観でつなくがらそこに物語が生まれて、解決策や対策が見いだせるのではないか。人々をワクワクさせ、人生を面白くするのは、事実と事実を繋ぐイマジネーションだと思うのでした。

事実とイマジネーション。そしてクリエイティブさが、生きることを豊かにする。

事実を述べよ①

お読みいただきありがとうございます。よい一日でありますように。

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