人々の食べる姿を見て考えました。
幸福の価値観
先日、外食する機会がありました。
僕は好き嫌いはほとんどなく、なんでも食べられます。大食漢であり(大食いタレントほどには食べられませんが)、食い意地も張っている方だと自覚しています。年齢とともに、過食がその後の体調に顕著に現れるようになってきました。食べ過ぎることでパフォーマンスが落ちることが嫌なので、自制が効くようにはなってきました。
そんな僕にとって、外食時に食べ物を残すということに違和感があるのでした。
価値観の違い
若い頃、いくつかアルバイトを経験しました。数あるアルバイト経験の中で、クセの強い若い従業員が多いある職場がありました。(短期間でやめました。)その職場は昼食付きでした。当時としては高待遇だったと思います。僕にとっては、昼の時間は楽しみでしたし、毎回美味しくいただいていました。ある日、僕より若いアルバイトが、近くのテーブルで昼食をとっていた、あるいはとろうとしていたのでした。その若者は、ちょっと口をつけ(席に着いた時間からそう感じたのを覚えています。)「うわっ、まず。こんたなもの、食われねぇじゃ(方言で、「こんなもの、食えねぇよ。」)」と調理した方が、隣接する調理室にいるのに大きな声で言い、連れとともに席を立ったのでした。
僕には十分美味しい昼食でした。なんだったら、おかわりしたいくらいです。この人は、『いただきます。』の意味を教わったことがないのだろうか。「お米には88の苦労があってね…。」という話を聞いたことがないのだろうか。「茶碗に米粒を残すと目が見えなくなるよ。」ということも教わらなかったのだろうか。
は…?どうして?何が?…。価値観の相容れない人が世の中にはいるということを強烈に実感したので、いまだに覚えているのだろうと思います。
- 嫌いなものが入っていた。当時は、アレルギーなどという言葉は一般的ではなかったので、食べると体調が悪くなる食材が入っていたのかもしれません。
- 同じ職場の連れにカッコつけた。若者の男女でテーブルを挟んで座っていました。何か格好をつけようとしての言動だったのかもしれません。
- 調理員さんと仲が悪かった。過去に何かでトラブルを抱えていたのかもしれません。
- 店長に不満があった。雇用や業務に不満を抱えていて、そのはけ口となったのかもしれません。
なんらかの事情があったのかなぁと、推察することはできます。
ふとそんな過去を、先日の外食で思い出したのでした。
裕福と幸福
子どもの頃、僕の家庭では外食などはまずありませんでした。普段から食べ物を残すということもしませんでした。おなかいっぱい食べられていたのは幸せなことだと思います。月に1度くらいのカレーライス、年に一度くらいの焼肉、お正月のお料理がご馳走でした。いっぱい食べて、たくさん遊んで、たまにはご馳走があって、神様や仏様にお供えして、それを家族で囲んでワイワイ食べて…。
世の中は、裕福になりました。でも裕福になったから、幸福になったかといえばそうとは言い切れないと思います。
食べ物に対する感謝と、人に不快感を与えない倫理観・道徳観が、そこにはあったように思います。
お金があっても、幸せだとは限らない。けれどそこにも、やはり感謝と倫理と道徳が大切なのではないかなぁと思いました。僕には、お金がないけれど、感謝と倫理と道徳は忘れずに、いたいものです。そこに幸福があると信じたいです。
お読みいただきありがとうございます。良い1日になりますように。